元禄十一年 川越市街屋敷社寺記 | 参考資料

参考資料 元禄十一年 川越市街屋敷社寺記

侍小路

南門通 長九拾八間五尺 屋敷 八軒
清水町 同百拾貳間三尺 拾軒
北久保町 同百三拾九間 拾軒
南久保町 同百三拾一間三尺 九軒
新田町 同九拾九間 八軒
大久保町 同貳百貳拾八間三尺 貳拾軒
瀬尾町 同八拾七間 拾軒
中原町 同貳百拾間三尺 廿一軒
代官町   廿三軒
会所前   拾軒
蔵町   八軒
裏町   七軒
高沢町   四軒
鴫町   貳軒
志多町   九軒

以上屋敷合百五拾九軒 北野本計数合

足軽屋敷江戸町、西町、同心町、一番町、貳番町、三番町、小屋敷
合 貳百六拾一軒

御樹木畑御城北堀端 東西六拾三間南北五拾八間 此の反別一町貳反一畝廿四歩

牢屋 男貳間一尺 壹間四尺
  女貳間 一間四尺
焔硝蔵 瀬尾町末に在り  
丸馬場 南北四拾八間  
町分内 東西三丁三十九間四尺、
西大手と高木戸迄。
南北拾丁弐拾間、
下松郷より下町木戸迄。
 
江戸町 長百六拾六間 名主八郎兵衛
本町 同百九間 同弥右衛門
南町 同百六拾八間一
本貳百三拾三間
同甚右衛門
喜多町 同百六拾六間 同与右衛門
高沢町 同百拾間四尺 同孫右衛門

以上五町之市日 二、六、九之日

上松江町 長百拾八間三尺
市日 四の日
名主 作兵衛  
多賀町 同九拾八間 長兵衛
鍛冶町 同六拾三間 次兵衛
鴫町 同貳百七拾間 甚兵衛
志多町 同六拾間三尺 喜右衛門

右拾町家数三百拾八間 店数貳百七拾九軒 人数貳千八百貳拾四人

郷分町
下松郷、久保宿、猪鼻町、六軒町、杉原、堺町、石原宿、五ヶ村
総家数 六百六拾七軒 人数三千百廿貳人

高千四百三拾四石四斗 慶長元子年 松平伊豆守様検地
  外ニ四百五拾四石一斗九升八合出高 屋敷貳拾貳町一反五畝七歩(町屋敷高八町役斗勤分郷方役銭除之 但し町総高之内三分の一配付持出し役引)
百拾五石貳斗三升九合 町年寄水村甚左衛門 持高店屋敷諸役引之
拾七石九斗四升九合三勺  同断 加茂下与一右衛門 右同断
弐百六石七斗九升弐合三勺 十町名主給
田四反六畝歩問屋給被下 問屋喜右衛門

右之外

金九両貳分朱 四両一分余 盆前市場取之麦三石五斗 鐚貳百六拾四文 夏十二月市 同断 籾三石九斗 鐚三百五拾文秋
田一反歩 松郷分除 一畑一反貳畝四歩 野田分除
  右者多賀町時鐘突料下置十町之家に一軒に付鐚六文づゝ毎月集
米一石五斗五升四合  郷分名主 八郎右衛門
永九百三拾貳文 同 政右衛門

右者為名主拾田一反に付米一斗畑一反に付永五文づゝ取立

金貳拾六両酒役人 次原太左衛門 松本平兵衛
  是は手代給分として被下之 此の内在に相廻し候節は役伝馬諸品入用被下
酒造高 貳千五百六拾石 酒屋十一軒 一板橋貳ヶ所(高沢端長九間 横貳間八寸 下町橋長八間 横貳間八寸)

高札場

本町高沢町 辻所に道法江戸へ十里、岩槻七里、行田七里、古河十二里、八王子八里、騎西七里、熊谷七里、社地四ヶ所

三芳野天神(喜多院末別当) 三芳山高松院額

佐々木玄能筆 本社三間(貳軒…玉垣三方六尺廿間、桁一丈三尺一寸、但し瓦覆)幣殿之間一丈三尺 拝殿(貳丈三尺一寸、一丈六尺一寸)四足門明一丈三尺 末社貳ヶ所 石鳥居明九尺 本地堂三間四面 井一ヶ所

大猷院様御造営(寛永元甲子年二月廿四日)

御遷宮 御導師大僧正天海

厳有院様御修復両度(明暦二丙申年、寛文十一年亥年)

当御代様御修復 貞享四丁卯年 天神外社明暦二丙申年
江戸御城ニノ丸之御宮 松平伊豆守信綱拝領外郭統御造立

八幡宮 御本九之内に有之、元禄五壬申年伊豆守信輝侯外郭へ御造立

天神宮 五十一代平城天皇御宇大同年中 八岐之大蛇を勧請

氷川明神は一体分身と云ふ、社領高 貳拾六石九斗五升五合内拾八石七斗四升五ヶ村に有之 貳石貳斗七升松郷に、一石四斗大仙波村、五石五牛四升脇田村、右之内貳拾石は先規より、六石九斗五升五合は松平伊豆守信輝公寄附。

代官町末

氷川大明神 神主山田大和 額 佐々木玄龍筆

本社(一間、一丈)幣殿 貳間四面、拝殿…末社。

稲荷山王

縁起無之勘請復庄由緒不分明、寛永五戊辰年 酒井雅楽頭御建立、当城之御代元禄八乙亥年御建立。 祭体九月十五日隔年執行也、慶安二巳丑年松平伊豆守信綱公初て取立也、神輿祭礼之装束寄附也、但し祭礼の入用は十町より出し、社地四反三畝拾歩余、社領拾五石貳斗六升。同拾一石貳斗先規より寄附、三石三斗三升松平伊豆守信輝寄附。
同四石五斗六升 寺井伊佐沼に有、是は慶安辛丑年酒井雅楽頭、同右京太夫寄附証文二通三石是は寛永十八年伊豆守信綱寄附。三石三斗六升 松郷
是は元禄辰年伊豆守信輝寄附。外に田一町五反八畝四歩年貢地是は先先家中並町より寄附

八幡宮(足軽町)別当無量院万蔵寺(社地一町貳反五畝四歩、内九反七畝拾四歩年貢地)

祈祷 毎年湯立有之 右八幡宮勧請之義寛永元年酒井雅楽守足軽町御割付為氏神御建立、開山円明坊より当住迄十七世

神明宮 勢州世第寺袈裟下山伏別当艮学院(社地五畝歩除)

関東十八檀林

一、御朱印廿石浄土檀林 笹地山 蓮馨寺
内境東西百間、南北八十四間余、外に東西八十八間、南北廿三間は年貢地
開山感誉上人より十二代、客殿桁行九間、梁間六間四尺
熊野権現開山堂山門寺中に門前 五智如来十王堂
当御代御米印之寫

武蔵国入間郡河越蓮馨寺領、円所之内貳拾石之事、慶長十八年四月 日、寛永十三年十一月九日、寛文五年七月十一日、先制之旨寄附之地全可収納並寺中山林竹林門前諸役等免除如有為末永不可有相違者也 貞享二年六月十一日 御朱印

一、御朱印高拾石(相州原村宝泉寺末曹洞養壽院)境内御朱印の内開山扉 り八代百三十五年、寺下之千壽院、長徳院、泉度院

当御代御朱印の写
武蔵国人間郡河越養壽院領内所之内拾石之事右慶安元年八月十七日寛永五年七月十一日先例之旨寄附証全可収納並寺中山林竹木諸役等免除永可有相違者也 貞享六年六月十一日

一、境内八反六畝貳歩(蓮馨寺末高沢町浄土宗)大蓮寺開山感誉上人より 八代 百貳捨貳年

一、境内 三反五畝歩は寺末高沢町見立寺開山門前

一、境内一反歩年貢地は寺末西町念仏堂西雲
寺開山不分明

一、境内(東西八間貳尺、南北拾五間一尺)中院末常蓮寺外に七間に六間一尺五寸
右は万治四年辛丑二月廿五日、松平伊豆守信綱侯当地為修復料寄進諸役免除証文有之本尊薬師如来  行基作
先規本町に有之処、酒井備州侯御代元和元年此処に御移し 開山円明坊より十二代

一、時鐘 長三尺 縦貳尺五寸
銘日時鳴鐘損壊於是城主侍従源信綱侯令冶工新鋳之者也
承応二癸巳正月吉日 椎名兵庫鋳之

一、境内七反五畝歩 広済寺 開山広庵より十二代百五十五年

一、境内五反七畝廿五歩 広済寺末長喜院
内六畝拾貳歩 年貢地
開基河越前城主大導寺駿河守嫡令月長喜院居士永禄五年より百三十三年

一、境内一町五反。畝歩 栄林寺 開山慶安三年より九十九年
内七反五畝拾歩寺中七反五畝廿歩府川村に有之境内 伊勢白山第六天

一、境内一町九反八畝拾歩(相州藤沢 浄光寺末、東明寺開山不知世)代三十六代本尊虚空蔵 並

一、境内六反四畝廿三歩 杉原十念寺 開山但阿弥より十一代

一、境内三反一畝貳拾貳歩(本願寺末五ヶ村一向宗内一反七畝貳拾歩年貢地)真行寺開山真行坊より 六代八十七年

一、境内貳町一反九畝五歩(池上末日蓮宗)行伝寺開山日山上人より 十四代一二百十四年
内(六反一畝廿八歩年貢地、寺家甲州巨摩郡波木井村久遠寺末)利正院妙光院

一、境内一町五反六歩 妙養寺開山日在より百五十六年 内一反六畝歩年貢地

一、境内三反八畝七歩池上末境町妙昌寺開山日姓より十一代 天正三亥年 内五畝歩年貢地

一、境内三反九畝一歩(身延末本応寺)寺家善性坊春養坊 常用 内貳反貳畝貳歩年貢地
開山月春より 七代七十四年

一、境内九畝廿一歩(羽前羽黒山宝前寺末)
天台行人観音寺(本堂三間四面) 大日堂開山長盛より 二代八十九年

一、御朱印高七百石小仙波星野山無量寺喜多院領五拾五石本知此の反別拾六町一反七畝七歩

一、東照宮(四間、三間)御幣殿(貳間四方、七尺間)御拝殿(四間、三間)石鳥居御手水待石り凹石

一、御本地堂(七間四面、八尺五寸間)御門(三間、貳間、三棟作)慈恵堂(九間、六間)九尺間口一丈、

一、慈眼堂(三間四而、七尺間) 鐘楼門(貳間、一丈) 山王社(一丈、八尺六寸) 稲荷貳尺 多宝塔三間四面

一、白山六尺貳寸 経蔵六間四面 小書院(五間半、六間) 客殿(六間、九間) 御蔵貳間四面 

一、居間(六間半、五間) 

一、一所(拾一間、三間半)下一所(七間、四間半)長屋(貳間、六間) 玄関(貳間、五間) 

一、裏門(一丈六尺塀三間、一丈四尺番所) 中間貳間 裏門(貳間九尺、三間番所一間九尺) 塀重門(貳間、五間) 

一、学寮(貳間半、九間) 米蔵(貳間半、六間) 雑蔵(四間、五間) 厩(貳間、四間) 塀百貳拾九間半

右何れも御修復処也

坊中九ヶ坊
中院、南院、常蔵坊、 星行坊、心鏡坊、明星坊、広仙坊、仙境坊
高七百石 外五拾石 本知 此沢
五百石  小仙波村 五拾石本知
貳百石 大仙波村 本領内百姓 七十七軒
聞山慈覚大師 中興尊海僧正 御代々御朱印並法度

権現様関東天台法度

一、不伺本寺恣不可住寺事
一、非著の輩不可附所化但於前法請所口の背時宣事
一、為末寺不令達背本寺下知事
一、不請関東本寺の儀従山門直不可証文取事
一、於関東追放之際可介抱若叉於山門押に背儀容者於関東不可請山門の下知事
一、所化衆構公事ふかく列事
一、所化衆法話所の経歴不可闕二季之事
一、山之学頭別当並衆徒至依帖者於本寺可背
右堅可守此旨者也御直判 慶長十八年二月廿八日喜多院台徳院様御代 御法度書 如前
御朱印文言同前
元和六年三月十五日 御直判 従一位右大臣源朝臣

大猷院様御朱印文言前書之通 都合五百石配当目録之通
右寺中九ヶ坊貳人宛輪番並本院に納処一人相加し年に所務也且納次第可配当之式私曲式者違背之輩は以衆議本院え申届速に可令迫払也

正保元年甲申十二月十七日
従四位下対馬守阿部朝臣重次書判
従四位下豊後守阿部朝臣忠利書判
従四位下侍従兼伊豆守朝臣信綱書判
従五位下侍従兼加賀守記朝正盛書判
従四位下侍従兼河内守源朝臣怠清書判
従四位下左近衛少将兼讃岐守朝臣忠勝書判

厳有院様御朱印武蔵国星野山無量壽寺内為東照宮御領同国入間郡仙波郷貳百石寛文元年新寄進之証其外於同処五百石者旧領也都合七百石目録別紙有之事併寺中門前屋敷境内山林竹木諸役等免除口元和六年三月十五日正保三年十二月十七目両先判の旨配当以下知前々永不可有相違可為検断使不入之地若背国法輩出来明者各別也神前諸役国家之祈仏法奥証無●(りっしんべんに解)怠可勤仕之状如件
寛文五年八月十七日 右大臣正二位源朝
臣御直判
武蔵国人間郡仙波郷

東照宮 御神領 貳百石 喜多院 五百石
高合七百石配当目録
一、一百石 御神前御供燈明料(毎年八月十五日、五節句、毎月十七日、御法事並論議御奇日寺中衆僧所化出仕)
一、三捨石 御本地堂仏法燈明料 一、四捨石供僧二人、一、捨石 御供役人、一、貳捨石 掃除役人二人、
合貳百石 御神領也

寺領五百石 配当
一、貳石 正月初申 山王戸間
一、貳石 正月三日 元 三講
一、五石 正月十四日 慈覚大師花芳会
一、五石 六月四日 長講会
一、拾石 霜月廿日 尊海僧正中興開山講
一、貳捨石 二月二日  再興慈眼大師会
一、三百三拾一石 本院領
一、三捨石 中院領
一、貳拾石 南院領
一、捨石 心鏡坊
一、捨石 広仙坊
一、捨石 仙境坊
一、拾石 常蔵坊
一、拾石 星行坊
一、捨石 明星坊
一、捨石 或就坊
以上五百石寺領也 都合七百石也

右寺中九ヶ坊貳人宛輪番並本院之納処一人宛相加也年々御務之且納次第可配当之事或者私曲或者違背之輩者以衆議本院江申届速ニ可令迫払者也  寛文己巳年八月十七日
大和守書判 美濃守書判、豊後守書判、雅楽守書判、慈眼大師 朱印定

一、毎月十七日東照権現為御法楽法事懺法並論議寺家衆所家衆弥可有行事
一、毎年四月十七日中院始寺家衆所化衆並山根庇内其外末寺宗門徒不浸出弥出仕 御祭礼法事和勤事
一、三季講演右同断可相勤事
右條々不可有怠●(りっしんべんに解)者也
寛文十九年卯七月七日 朱印

一、境内老町八   武州大和田 普光明寺
反四畝廿一歩 亀久保 春宮 地蔵院
武蔵野地蔵権現別当喜多院末大塚新田 西福寺
右寺別当也

元禄壬午二月下旬写之
一、船数 百拾九艘
貳拾艘 扇河岸、八艘 古谷上村蔵根、三艘 宗岡川岸、貳拾貳艘 上新川岸、五艘古市場川岸、五艘 水子川岸、貳拾六艘、下新川岸、三艘 寺尾川岸、一艘 野火止拾四艘 引又川岸、九艘 鳥羽井川岸、貳艘 紺谷河岸、一艘 三保谷、渡船 四艘、釘無、菅間
右は川島通路自由之為仰付造立修復は御領主より被下

川越五町 市九斉 二六九之日 高沢、本町、南町、北町、江戸町、上松郷、三斉四之日元禄九子年より
野火止 六斉五十 引又三八 元禄十二卯年坂戸三八 所沢三八 森戸四十
宝永四年四月写

河越領寺社名所記本文中年暦何百何十年と有之候元禄十一年迄之事 城主松平美濃守吉保侯元禄七戌三月之入城及宝永元年甲府拝領所替に相成候也 (以上は元禄十一年の記録) (川越図書館蔵本川越史料に依る)