川越藩の領高

川越藩の領高

徳川時代歴代の川越城主は、其の禄高に各々相異あり、 従って又川越領、城附は六万石内外にして其の他の禄高は川越以外の土地に、 それぞれ飛地領を有する関係上、 今茲に詳細に川越以外の郷帳に依るを得ず。 川越図書館の川越史料及川越市史編纂所の抄寫本より転記して参考となす(元禄十一年川越市街記参照)

武蔵国郡郷帳 元禄年間 (現市ニ関係アルモノ)

一、高千四百四拾四石四斗 川越町
一、高千参拾七石五升 松郷
一、高参百拾四石四斗七升 脇田村
一、高参百貳拾貳石六升 新宿
一、高七百拾石九斗九升 大仙波村
一、高百五拾四石五斗一升 大仙波新田
一、高貳百参拾石八斗参升一合 岸村
一、高五百石 小仙波村
一、高貳拾八石四斗九升 杉下村
一、高五拾五石八升 寺井松郷
一、高百七拾石八斗 寺井宿
一、高百四拾七石五斗九升 東明寺村
一、高九拾七石一斗六升 小久保村
一、高貳拾四石七斗九升 野田新田
一、高貳百八拾石四斗七升 野田村

以上は現市(川越)に開係ある区域の地のみを掲出せるものにして、此の帳は元禄十五年壬午十一月調にして、井上大和守、安藤筑後守、松前伊豆守、久貝因幡守等の幕府の調書也。

武蔵国郡郷高都合、百拾六万七千八百六拾貳石九斗八升参合参勺九才。村数、貳千九百五拾一箇村(内、当時の本郡高)

入間郡 貳百四拾一箇村 小以高七万四千五百九拾九石八斗八升五合六勺。
高麗郡 百〇五箇村 小以高貳万五千四百六拾六石九斗四升参合六勺五才。

入間、高麗両郡は明治二十九年四月合併をなし、現今入間郡となり、川越市及六十二ヶ町村、内訳は一 市六ヶ町五十六ヶ村により一郡をなす。

元禄の後、天保五年甲午十二月の武蔵国郡郷帳には総高に増計ありて、

一、高千八百九拾八石五斗九升八合 川越町
一、高千三百拾七石貳斗三升九合 松郷
一、高七百五拾石 小仙波村(以下略)

以上の如く著しく増高になりをれり。

元禄時代の川越城主は柳沢美濃守吉保七万二千三十石にして、天保五年は松平大和守斉典城主たり。大和守家始め移封の際は十五万石にして、斉典城主の時功により二万石の加増ありて、十七万石の領高となる。市外鯨井村(名主)勢〆家に古文書一巻所蔵せり。これ川越領高記にして、此の書は川越城主秋元但馬守が在城当時のものにして、秋元氏は城主たること四代六十四年間(城主年表参照)の久しきに亘れり。想ふに享保頃の領高記ならん。而して今同書より若干現市に関係ある領高を採録す。

川越領高記(秋元侯時代)

町分組 加茂下利左衛門・榎本治左衛門

一、 高千四百三拾四石四斗(川越)
  外ニ四百五拾四石一斗九升八合 新田出高
反別貳百三拾七町六灰三畝拾一歩  
百拾六町三反五畝貳歩 田方  
百貳拾一町貳反八畝九歩 畑方  
上田六斗八升 中田六斗五升  
下田五斗五升 下々田四斗八升  
一、大豆 拾七俵貳斗  
一、油荏 八俵貳斗八升貳合  
(御朱印、寺院等省略)  
一、 屋鋪 七反九畝廿九歩同三反歩 町同心拾人分免許地
一、 屋鋪 貳反一畝七歩 町年寄 加茂下与一右衛門
一、 屋舗 一反八畝三歩 町年寄 水村甚左衛門
一、 屋鋪 五畝廿貳歩 本町名主 川野弥右衛門
一、 屋鋪 一反六畝拾八歩 喜多町名主 水村与右衛門
一、 屋鋪 一反三畝拾六歩 志多町名主 三名部忠兵衛
一、 屋鋪 九畝拾五歩 高沢町名主 駒林孫左衛門
一、 屋鋪 一反一畝廿七歩 南町名主 龍野甚右衛門
一、 屋鋪 八畝三歩 多賀町名主 石山勘右衛門
一、 屋鋪 一反六畝廿六歩 江戸町名主 渡辺久右衛門
一、 屋舗 三畝七歩 上松郷名主 岩崎甚兵衛
一、 屋舗 六畝廿一歩 鴨町名主 新藤五右衛門
一、 屋鋪 三畝廿七歩 鍛冶町名主 平井次兵衛
一、 境内 六畝拾貳歩 多賀町 常蓮寺(薬師堂別当)
一、 南町分 一畝拾七歩 多賀町 薬師堂地
一、 高澤町分 一反九畝廿九歩 鉄砲打場
  内六畝廿歩  
  一反三畝九歩 星野善右衛門屋舗
一、 三反三畝拾歩 江戸町大部屋
一、 一反四歩 志多町牢屋

大仙波村 名主 原太郎兵衛 鎌田庄左衛門

一、 高七百拾石九斗九升   
  外ニ百三拾貳石貳斗四升四合 武蔵野開 新田
  七袷一町六反一畝一歩 田方
  六拾一町五畝六歩 畑方
  上田 六斗 中田五斗五升  
  下田 五斗 下々田四斗五升  
一、 大豆八俵貳斗貳升 天台宗天然寺
一、 油荏四俵六升 同 長徳寺
一、 浅間社 中院支配
一、 屋鋪貳丁八反四畝廿貳歩 足軽屋鋪三拾六軒分。

仙波新田 鎌田重兵衛

一、 高百五拾四石五斗一升  
  外ニ五拾九石八斗五升貳合 武蔵野開 新田
  反別三拾六町七反三畝廿歩  
  拾四町八反一畝廿歩 田方
  貳拾一町九反一畝廿八歩 畑方
  上田 六斗  
  中田 五斗五升  
  下田 五斗  
  下々田四斗五升  
一、 大豆 貳俵  
一、 油荏 一俵一升八合 天台宗 妙善寺
一、 屋鋪 六反八畝廿七歩 足軽屋鋪九軒分。

野田村 田島久左衛門 萩山権兵衛

一、 高貳百八捨石四斗七升  
  外ニ八捨六石貳斗五升貳合 武蔵野間新田
  反別七捨八町七反貳歩  
  五町九反九畝捨八歩 田方
  七捨貳町七畝捨四歩 畑方
  中田五斗  
  下田四斗五升  
  下々田 四斗  
一、 大豆 三俵三斗六升 日蓮宗 妙昌寺
一、 油荏一俵三斗六升 時宗十念寺
一、 畑 八反貳畝廿八歩 御鷹部屋
一、 畑 五反一畝廿歩 餌差屋鋪
一、 畑 一反貳畝四歩 鐘撞免

岸村 ○○四郎兵衛 斉藤伊左衛門

一、 高貳百三捨石八斗三升一合  
  反別四捨貳町貳反一畝廿三歩  
  八町七反捨貳歩 田方
  三捨四町一反四畝捨一歩 畑方
  上田四斗五升  
  中田四斗  
  下田三斗五升  
  下々田三斗。  
一、 大豆貳俵貳斗  
一、 油荏 一俵七升貳合 曹洞宗 長田寺

新宿 木野村勘兵衛

一、 高三百貳捨貳石六升  
  外ニ八捨三石七五斗升 新田
  反別百九町八畝廿八歩
一、 大豆四俵一斗貳升  
一、 油荏 貳俵三升  

脇田村 猪鼻安兵衛

一、 高三百捨四石四斗七升  
  百五捨五石八斗三合 出高
  反別百五町四反捨八歩
一、 大豆三俵一斗貳升 浄土宗西雲寺
一、 油荏一俵貳斗五升貳合 天台宗満蔵寺(駐、八幡宮之別当現今ハ廃寺)
一、 屋鋪 捨四町五反六畝廿四歩 百九捨軒分  
  天神免  
一、 畑一町一反廿七歩 高松院支配
一、 畑貳反七畝捨八歩 満蔵寺支配
一、 畑一反一畝歩 星野長太夫屋敷
一、 下畑一反一畝捨五歩 福井市郎兵衛添地
一、 下田一反貳畝廿四歩 清水甚五右衛門添地
一、 下田一反九畝捨歩 村岡金太夫添地
  高合、略  

松郷組 須賀市右衛門 松山吉右衛門 星野善右衛門

一、 高千捨七石五升  
  外ニ貳百八捨石一斗八升九合 出高
  反別百八捨貳町六反四畝捨九歩  
  九捨町四反一畝廿八歩 田方
  九捨貳町貳反貳畝廿一歩 畑方
  上田六斗五升  
  中田六牛  
  下田五斗五升  
  下々田四斗五升  
一、 大豆捨俵貳斗四升  
一、 油荏六俵四升八合  
一、 屋鋪貳町六反三畝廿五歩 足軽屋敷
一、 畑一町六反三畝歩 監硝蔵屋鋪
一、 田一反歩 鐘撞免
一、 畑一反歩 同断
  氷川明神免  
一、 田五反貳畝捨七歩 山田丹後支配
  天神免  
一、 田貳反貳畝廿歩 高松院支配
一、 上田貳反捨貳歩 持田金五郎添地
一、 上田一反八畝捨四歩 梶原源五右衛門添地
一、 下田一反一畝捨四歩 酒井孫重郎添地
一、 中畑一反貳捨歩 柴田利助添地
一、 中畑七畝廿四歩 酒井喜八郎添地

杉下村 松山右衛門

一、 高貳捨八石四斗九升  
  外ニ一石七斗貳升六合 出高
  反別三町一反五畝捨歩  
  一町六反五畝捨貳歩 田方
  一町四反九畝廿八歩 畑方
  上田六斗五升  
  中田六斗  
  下田五斗五升  
  下々田五斗。  

寺井宿 高柳八郎兵衛

一、 高百七捨石八斗  
  貳捨五石六斗三升五合 出高
  反別貳拾四町三反九畝九歩  
  拾七町三反三畝廿三歩 田方
  七町五畝拾六歩 畑方
  上田六斗八升  
  中田六斗五升  
  下田五斗五升  
  下々田四斗五升。  
  上ヶ地取下ヶ 上田五斗
  中田四斗五升
  下田四斗
  上ヶ地取下ヶ 下々田三斗。
一、 大豆 貳俵  
一、 油荏 一俵 浄土真宗 真行寺

高麗組 小久保村 榎本弥右衛門

一、 高九拾七石一斗六升  
  外ニ貳拾一石三斗九升  
  反別拾四町三畝廿六歩  
  五町六畝廿貳歩 田方
  八町九反七畝四歩 畑方
  上田六斗六升  
  中田六斗五升  
  下田五斗五升  
  下々田四斗五升  
一、 大豆 一俵一升 日蓮宗 本応寺
一、 油荏貳斗五升 天台宗観音寺

伊草 東明寺村 木内新助

一、 高百四拾七石五斗九升  
  外。一拾九石四斗貳升五合 新田
  反別貳拾一町貳反八畝廿貳歩  
  拾五町九反廿一歩 田方
  五町三反八畝一歩 畑方
  上田六斗八升  
  中田六斗五升  
  下田五斗五升  
  下々田四斗石一升  
一、 大豆 一俵三斗  
一、 油荏 三斗六升  
一、 屋舗 五畝拾八歩 瓦焼所

以上

以上の領高は、秋元侯在城時代の記録にして、写本よりの転写なれば、多少の誤謬は免れざらんも、当時秋元家は領高は六万石にして幕政に参じ、川越城主として老中たり。入間、比企、高麗、埼玉、足立、榛沢等の各郡に其の邑を領有し、合計高五万八千五百石余あり、此の外に山林、並木等あり。当時河越領の領域の大略は、関修齢の河越領記によると

「河越領、南は藤久保限とす三里余、北は中山村二里余、東は老袋川、東足立領二里余、西は塚越村ニ里、右四ヶ所何れも川越領と云ふ榜示あり。」

と入間郡の内、村数九十七ヶ村が川越領にして、郡分の高三万三千百八十石九升六合なり。而して町分組(川越)は、野田、府川、岸村、大仙波等の一二十五ヶ村町組にて、此高八千六百九十七石一合(外ニ一万一石四斗八升、武蔵野並ニ三留(後ニ三富ヲ用フ共ニ)なり、松郷組は杉下寺井、伊佐沼等廿九ヶ村組にして、此の高八千六百廿九石(外ニ四千五百五十七石余武蔵野出高)あら、高麗組には小久保、寺山鯨井、上戸等廿四ヶ村、此の高八千七十石余あり。而して現今の大字東明寺は伊草組に緬入になつてをり、又三保ノ谷組に寺井及び寺井松郷が編入になつてゐる等、その藩政時代を偲ぶに好貴料たる川越領高記(写本)は、川越史料として川越市史編纂所に蔵す。委しくは原木に就きて参考すべく、今は其の概要のみを掲ぐ。

川越領人別(宝永二年改)

一、 百四十八ヵ村 男 二万六千八十五人
女 二万二千九百六十一人
  〆人数四万九千四十六人  
一、 家数 八千七百軒  
  馬数 三千二百九十三疋  

川越領村、高物成大略(城附)宝永二酉年

酉年 米四万五千七町九十四俵余 内五千四百九十二俵(余前年ヨリ増)
戌年 米四万三千六百廿八余 前年ヨリハ不足以上