坂東武士
坂東武士 坂東武士の強勇については、已に古今の典籍に載する所、古く奈良朝時代には防人として東国の武人を 探用したりき。...
石器時代と古墳時代
石器時代と古墳時代 石器時代の遺物は川越よりも多く発見出土し、現在川越図書館郷土資料室に収蔵せる石器及土器のみにても数千点に及ベり。 此等は主として川越市を中心に、其附近一帯より故安部立郎氏等同志の努力によって蒐集せられたるものにして、近時斯界の研究大に進展し、武蔵野郷土資料として、考古学上重要視さるゝに至れり。...
川越の名称
川越の名称 川越は昔は河肥、又は河越とも書けり。養壽院の鐘銘(文応元年)には立派に「河肥庄」といふ文字を用ふ。東鑑文治二年七月二十八日の條にも此字を用ひあり、河肥は本来の文字なるか、否や応かに断定するを得ず、併し一般史家の説く所は古くは河肥にして、それが河時しか転訛して河越となり、更に川越となりしものなりと、八代博士曰く、河に因って肥された土地、而して河肥荘の中心地は上戸辺にして、入間川及越辺川等流れて、肥沃の土地なりしがためならんと説かる。 一体古い地名は其の言葉、即ち音だけが先にありて、後文字を符牒として当てはめたりしものなれば地名の起原を、漢字の字義で解釈せんとずるのは誤りを生じ易し、今二三郷土資料の各書を参考として左に述ぶ。...
総説
一、川越市の位置及地勢 川越市は大正十一年十二月一日を以て、 川越町と仙波村きを合併して、...
序言
川越市沿革史概要 序言 川越の地たる武蔵野形勝の位置を占め帝都輦軌の下に在りて自ら藩屏を為せるの観あり...