皇室御領と河越之庄時代
皇室御領と河越之庄時代 川越は、鎌倉時代には、後自河天皇の皇室御領なりき。 当時河越之庄(河越荘)は、武蔵国で頗る優秀の地位を占めた。...
武蔵七党
武蔵七党 横山党。猪俣党。野輿党。村山党。西党。兄玉党。丹党。 由来武蔵は武士道の本源地として、「武相の兵は天下に敵なし」と称され、関東武士の剛勇を賞讃せり。県誌に曰く...
重頼の子孫
重頼の子孫 重頼の亡後、所領は一旦悉く没収せられしが、其の夫人は頼朝の恩人比企禅尼の女にして、又頼家の乳母たりし関係上、他の五ヶ郷を除き、河肥庄は重頼の妻(後家の尼)に賜りて世々所領となりぬ。 武蔵武士に曰く...
河越氏
河越氏 鎌倉幕府の雄将として、尚叉坂東八平氏の一として河越氏の一族は、当時高家中最も勢を振ひぬ、殊に河越重頼は、後白河天皇の御領たる河肥之庄の荘官たりし関係にや、鎌倉幕府創立にあたりて、早くより源頼朝の旗下に参じ、同族の畠山重忠等と共に軍功ありて重きをなせり。 河越氏系図...
伊勢物語と三芳野の里
伊勢物語と三芳野の里 川越地方は詩歌によりて彩らる、名勝地少からず万葉集に「伊利磨路乃云々」あり、平安朝初期の「伊勢物語」はよく此の三芳野の里を寫せるを見る。 伊勢物語「昔、男、武蔵国まで徨ひ歩きけり。さて其の国にある女をよばひけり。父はこと人にあはせんといひけるを、母なんあてなる人にも、心つけたりける。父はたゞ人にて母なん藤原なりける。さてなんあてなる人にと思ひける。...